ゲームの芸術性について感じたこと。

 

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©2007 Sony Interactive Entertainment LLC. Created and developed by Insomniac Games, Inc.

私の趣味の一つにゲームがあります。特に最近のゲームのグラフィックには目を見張るものがあります。『ラチェット&クランク』『ゼルダの伝説』『ゼノブレイド』などの作品を通して、単なる娯楽の枠を超えた「何か」に惹かれていました。

 

ゲームといえば、多くの方が子ども時代に「ゲームばっかりしないの!」と誰かに叱られた経験があるのではないでしょうか?その理由には「宿題をやっていないから」「依存症防止のため」「目を悪くさせないため」等、色々理由はあると思いますが、その背景にはゲーム=遊びという固定観念があった気がします。

 

確かに20年ほど前では、「ゲームの用途」それ自体については「遊び」の範疇に収まっていました。しかし今では「プロゲーマー」「ゲーム実況youtuber」など、ゲームで生計を立てることができる時代です。ゲームをスポーツの一種として扱う「e-Sports」の浸透や、プロゲーマーを養成する学校まで誕生しました。ピアノレッスンや卓球の様に、親が子どもの将来の為に、小さい頃から熱心にゲームをさせる・・・そんな光景は不思議ではなくなるでしょう。

 

この様にゲームのスポーツ性は、既に世界で認められている価値観です。では芸術性はどうか。私のゲームソフトについての定義は「製作陣の世界を楽しむコンテンツ」だと思っています。つまりゲームは、映画・漫画・小説・絵画・音楽などのコンテンツと手法が違うだけで、根底にある「求める動機」が同じであるといえます。私が思うに、ゲームの芸術性を認める価値観が、もっと世界的に浸透しないと勿体ない気がします。なぜならゲームソフトを動かす本体機は新作が発売されるにつれ、生産中止になる場合があるからです。生産側の事情はあるとは思いますが、優れたゲームソフトが人類の歴史において短期間に流通した過去の産物となってしまうのが勿体ないのです。それほどゲームというコンテンツは情熱を持ったプロたちの手によって作られているのです。

 

調べたところ「英国アカデミー賞ゲーム部門」という、その年に発売されたゲームを音響、スポーツ性、芸術性などの各部門ごとに評価する賞が存在するようです。これを機に、様々な国や会社のゲームが、スポーツ性・芸術性の観点から評価される時代が訪れることをゲームファンとして期待しています。