『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』考察/最も優しく、最も孤独なヒーローの誕生
トム・ホランド演じるMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)版のスパイダーマンは、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』で別次元から怪人たちを呼び寄せた際、彼らがいずれもスパイダーマンに殺される運命にあると知ります。
「そのまま元の次元に帰せ」と主張するドクター・ストレンジと、メイ叔母さんの「元の人間に治療してから帰してあげるのがヒーローの仕事」だという二つの主張の間で揺れていたピーターですが、メイ叔母さんの死の間際の後押しにより、怪人たちを治療する方針を固めることになりました。スパイダーマン作品恒例の「大いなる力には、大いなる責任が伴う」という名言もここで出ました。
つまり現在のスパイダーマンは、市民を救う「親愛なる隣人」でありながら、メイ叔母さんの意志を継ぐ「悪役の救済者」でもあるのです。ノーウェイホームのラストで「スパイダーマン」として孤独の道を選んだピーターの唯一の支えは、メイ叔母さんの「悪役を含め、全員を救うヒーロー」という教えを全うすることでしょう。これまでの映画に無かった新しいスパイダーマンの今後の活躍が楽しみです。
『キングコング対ゴジラ』考察/いかにゴジラが怪獣として手強いかが分かる映画
日米の二大怪獣が対決する『キングコング対ゴジラ』。両者が初めて相見えるのは物語が中盤に差し掛かった頃の事。自社のテレビ番組の人気不振に頭を悩まされていた宣伝部長の思惑により、帰巣本能で日本に上陸したゴジラと、ファロ島から運ばれたキングコングが栃木県日光市の中禅寺湖付近で対決する事になる。
この第一戦でキングコングはゴジラに勝ちを譲ったが、この時点でもし対戦相手がゴジラでなければどうなっていたか。キングコング作品には恒例のイベントとしてT-REXやゴロザウルスといった恐竜対決が映画の中盤の見所の一つとして盛り込まれるが、このシーンもその様なキングコングの強さを示す為の見せ場の一つとして扱われ、終盤のゴジラとのバトルもなく、完全なキングコングの映画になっていた筈だ。
『キングコング対ゴジラ』では、その恐竜対決のシーンを大ダコに担わせている。結果としてゴジラは、ラストまでキングコングに勝ちを譲る事はなかった。この映画は、ゴジラが並の怪獣とは桁外れに厄介な存在である事を証明しているのだ。
『キングコング対ゴジラ』考察/二大怪獣の対決は宿命だったのか。
「シン・犬神家の一族」を観た気がする。最高の体験
吉岡秀隆版の「犬神家の一族」を観た。彼の金田一は、庶民派で自分の好奇心に任せてどんどんと事件現場に介入していく。どんなに周囲に煙たがられようが気にしない。というか好奇心に夢中で気が付かない。
石坂浩二版は市川崑監督から「天使」だと言われていたが、吉岡版はまさに妖精。愛憎から生まれる悲しい事件の謎を解くたびに、「人間の儚さ」を知り、なんとも言えない気持ちで頭を掻きむしる。その姿はまさに、人間という生物を俯瞰して観察している探偵の妖精だ。
事件を解決しても、彼に達成感など無い。関係者からの感謝の声や名声も響かない。ただ彼にあるのは、死んだ人間を救えなかった後悔だ。そんな庶民的な人柄がある一方で、自分の中に生まれた疑問を解明する為なら周囲の目なんか気にしない、尋常ではない探究心も合わせ持つ。それが吉岡版の金田一。
だから犯人の手口が分かり、世間的に事件が解決したとしても、何か一つでも腑に落ちない「謎」が残れば金田一はどこまでも解明せずにはいられない。その「謎」が彼の中で解き明かされない限り、金田一にとっては未解決事件、どこまでも無力を痛感することになる。根っからの探偵なのだ。
今回の「犬神家の一族」の脚本には、既に結末を知るファンも唸らせる様な驚きの新解釈が施されている。登場人物の心理描写も丁寧に描き、視聴者に様々な解釈を起こさせる巧みな脚本・演出にも圧巻。何回も観た作品のリメイクの筈なのに、終始どうなるのか目が離せなかった。
最高の映画テーマの一つ「愛のバラード」
『犬神家の一族(1976)』のメインテーマは、とても奥深いメロディだ。映画の鑑賞前に聴くと、一族の陰湿な面と恐ろしい殺人事件を表した不気味なメロディに感じる。
だけど鑑賞後にメインテーマを聴くと、それが登場人物の「愛」と「憎悪」の入り混じった複雑な心境、とりわけ遺産争いに巻き込まれた珠代の佐清に向けた恋慕の情を表している様に感じる。まさに「愛のバラード」というタイトルに相応しい曲といえる。
映画は犬神佐兵衛が一族の前で臨終した瞬間から、「愛のバラード」と共にメインタイトルの文字がバン!と出る。そのインパクトと何やら不気味な物語が始まる予感でオープニング中はワクワクと怖さが止まらない。
作曲者は「ルパン三世」のテーマで知られる大野雄二。彼は凄い。
映画『 ジョーカー 』考察レビュー(ネタバレなし)★★★★☆
バットマンの宿敵ジョーカー🃏を主人公に据えた作品。過去作との関係は一切無く、コメディアンを目指す優しい青年アーサーが悪のカリスマへと変貌していく…。
あらすじ
貧富の格差が広がった1981年のゴッサムシティは、犯罪が多発する荒廃都市となっていた。コメディアンを夢見る青年アーサーは、ピエロの仕事をして生計を立てている。賃金は安く、不安定な生活を送るアーサー。彼には追い打ちをかけるように「緊張すると発作的に笑ってしまう」という病気まであった。弱者に無関心な社会で、アーサーは心身ともにボロボロになりながらも賢明に夢を追うが、臨界点はすぐそこまで迫っていた。心優しい青年は、いかに「悪のカリスマ」へと変貌してしまうのか―。
ポスター
作品データ
原題
- 『 Joker 』
上映時間
- 122分
公開日
- 製作国(アメリカ合衆国) 2019年10月4日
- 本国 2019年10月4日
年齢制限/レイティング
- R15(15歳未満の鑑賞禁止)
製作キャスト
- トッド・フィリップス(監督・製作・脚本)
- マイケル・E・ウスラン、ウォルター・ハマダ、アーロン・L・ギルバート、ブルース・バーマン、リチャード・バラッタ、ジョセフ・ガーナ―(製作総指揮)
- スコット・シルヴァー(脚本)
- ヒドゥル・グドナドッティル(音楽)
- ホアキン・フェニックス
- ロバート・デ・ニーロ
- ザジー・ビーツ
- フランセス・コンロイ
- ブレット・カレン
- ダンテ・ペレイラ=オルソン
- リー・ギル
きなこ評
例えば『スラムドッグ$ミリオネア』のように終盤になるにつれて、序盤の主人公の環境からは考えられない様な展開に行き着く映画が好きです。ジョーカーもそんな娯楽性があるサスペンス映画とは言えますが、それだけでは片付けられないメッセージ性を持った作品です。
主人公のアーサーと同じ環境に置かれたら果たして自分はジョーカーにならずにいられるか?そう問いかけられています。この映画は主人公がジョーカーへと変貌する前と後で分けられると思います。
ジョーカーとなった彼は怒りと悲哀の中で「善と悪の定義の曖昧さ」、「自分の在り方は主観で決めるもの」といった思想を社会に熱烈に訴えかける。観客にも響いてくる。この映画から学べる大きなこと。それは、この思想をアーサーがジョーカーになってしまう前に、持っていれば、どれだけ彼は救われていたのだろうかということです。アーサーはジョーカーにならなかった展開もあったかもしれません・・・。
私たちは社会的に弱い立場の人、変わり者と呼ばれる人を「逸脱者」として扱う社会にしてはならない。と「私」は感じました。(ジョーカーは全く掴み所がない)
また自らもアーサーのような「心優しい人」であるうちに、人を幸せにするために、自分らしく生きる努力をしなければなりません。自分を含め、社会に新たなジョーカーを生み出してしまわないためにも…。
万人受けは期待できない映画だと思いますが、主演のホアキン・フェニックスの狂気染みた演技だけで見応えがあります。あと、人によって感じ方や物語の捉え方がまるで変化する映画なので多くの人に観てもらいたいなと思います。
映画『 カイジ/ファイナルゲーム 』短評(ネタバレなし)★★★★☆
自堕落で借金まみれだけど、人を信じることだけが取り柄のような男、カイジの人生逆転劇!その実写版の9年ぶりの最新作にして・・・圧倒的完結編!!
あらすじ
東京オリンピック終了を機に、日本の景気は急速に悪化した。地上で暮らす庶民の生活は悪化する一方で、金融会社・帝愛グループは地下に「帝愛ランド」と称した巨大カジノを建設し、高所得者や地上での生活に鬱屈した人々から絶大な支持を集めていた。そんな弱肉強食の社会でカイジは、地上で派遣社員として貧しい暮らしをしていた。ある日、かつてカイジにギャンブルで敗北した、大槻が「バベルの塔」というギャンブルをカイジに持ち掛ける。必勝法があると聞かされたカイジは報酬目的で参加するが、それは国家をも敵に回す、カイジ史上最大のゲームの始まりであった・・・!
ポスター
作品データ
英題
- 『 Kaiji:Final Game 』
上映時間
- 128分
公開日
- 製作国(日本) 2020年1月10日
製作キャスト
- 佐藤東弥(監督)
- 伊藤響、藤村直人、渡邊浩仁、小泉守、杉野剛(製作総指揮・プロデューサー)
- 福本伸行、徳永友一(脚本)
- 菅野祐悟(音楽)
- 藤原竜也
- 福士蒼汰
- 関水渚
- 新田真剣佑
- 吉田鋼太郎
- 天海祐希
- 松尾スズキ
きなこ評
この作品の原作と実写版は本質は同じですが、それぞれに独自の魅力があります。それを踏まえて、
異論は認めますが、今作は実写版カイジ最終作として最高の脚本、演出であったと思います。私は実写版のカイジが好きなので、この映画が公開されるまで、7年待ちました。
前2作を経て、「カイジ」という映画は完成されたように感じます。カイジの持つ魅力を全力で活用し、日本へのメッセージをこの映画は送っています。
映画が公開されるにつれてカイジという男はダメ人間として描かれてはいますが、確実に成長が見られるんですよね。そして今回は年齢的にも成長したカイジが、同じ境遇の若者を引っ張っていく…。
物語は帝愛の支配と東京オリンピック後の不景気が重なったディストピアな日本が舞台。現実にも起こり得そうな範囲の、リアルな設定がカイジらしいです。そのため、カイジの魂の叫びが現実味を帯びたものとして心に響いてきます。
希望は与えられるものではない、自身が築くものだ・・・と。
国を変えるには一人ひとりが希望を持たなければならない。そう感じさせてもらえました。希望は捨てない。
個人的には関水渚演じる加奈子の「キュー」が気に入りました。これを思いついた人は天才だと思います。(*^ω^*)👉🏿