今日は「ざる蕎麦」を食べたぜ。

 

こんにちわ!きなこです。(⌒∇⌒)

 

今日は仕事の休憩時間に蕎麦屋にて「ざる蕎麦」を食べました。本当は「きつねうどん」目当てに入ったのですが、あまりの暑さに、突発的に「ざる蕎麦お願いします」と気が付いたら言ってました。

 

普段は、「ざる蕎麦」をあまり頼みません。本格的な蕎麦の触感と風味を楽しめるとはいえ、やっぱり汁まで飲み干したい気持ちがいつも勝つんです。「ざる蕎麦」の汁は味が濃いので飲み干せないですし・・・。と思ううちに、気づけば2年くらい「ざる蕎麦」から離れていました。

 

しかし。いざ「ざる蕎麦」が運ばれてくると、「夏だなぁ」っていう気になりました。(まだ6月ですが)それまで暑かったので、冷えた蕎麦と醤油がみるみる身体に入り、染みわたります。「ざる蕎麦」って夏の風物詩だったかな?どうだっけ。個人的に「ざる蕎麦」はもう夏の風物詩です。ええ!

 

季節の「風物詩」って、その季節のイヤな部分があるからこそ、栄えるんだと知りました。例えば「かき氷」は暑い時に食べるから、あの得も言えぬ爽快感を味わえます。冬だと普段めちゃくちゃ寒いから、「あったかい」という心地良さが身に染みる。

 

日本は季節の変化が他の国よりしっかりしている。「四季」という形で。風柳ではありますが、日本人は季節に振り回される民族ともいえます。そんな日本人への「季節の逃げ道」として「季節の風物詩」というものが与えられている気がします。

 

だから「季節の風物詩」というのは、逃げ道ではありますが、より「季節感」というものを感じさせてくれるものだと思います。ですから、これから暑い夏がやってきますが、思う存分、風物詩を楽しんでみてはいかがでしょうか!??

 

ではまたッ!(^▽^)/

 

 

私が「一緒に勉強しよう!」を断る理由。

 

こんにちわ!きなこです。

 

今回は私が、友達からの「一緒に勉強しよう!」というお誘いを断る理由について話します。前提として、友達から「何かを誘われること」自体は感謝しています。だから、いつも申し訳なく断っています。

 

よく試験前に「一緒に勉強しよう!」と誘われるのですが、私にとっては「誰かと一緒に勉強する」という行為はデメリットの方が多いんです、例えば、これは自分に原因があるんですが、その友達が自分より勉強が出来るようになってきたら、ライバルに見えて焦ってくるんです。向こうがそんなこと思っていなくても、ライバルに視えてしまう。この時点で「よし!私も負けないぞ!」と、競争相手がいると余計に頑張れる・・・という人にとってはメリットだと思います。ですが私はこの場合、友達と比較して勉強にやる気を無くしてしまう。怖いのが自分が友達に、対抗心ではなく嫉妬や劣等感からくる敵対心をどこかで持ってしまって、肝心の勉強に集中出来なくなること。

 

また反対に自分が友達より勉強ができた場合、あまり良くないけど、優越感を感じてしまうんですよね。無意識的にどうしても。友達と比較して、優越感や安堵感が心のどこかにある自分がいる。しかしこの優越感は決して浸れるものではなく、心優しい人ほど「自分は性格悪いな」と落ち込む。また相手から対抗心を燃やされて逆に気まづくなる場合がある。そして結局、勉強に集中できない・・・というスパイラルによく陥ります。私の場合は。

 

もはや目の前の問題より相手の心中を探ってしまうライアーゲーム。あくまで私個人の意見ですが「友達と一緒に勉強する」という行為は、「今話しかけないで。集中してるから」と気軽に言い合える関係か、友達同士で教える=教えてもらう関係のときに成立するものだと考えています。

 

私自身も「1人で勉強するのは寂しい、孤独だ」「誰かと一緒なら頑張れるのに」と勉強中に思うことがあります。だけど勉強の「暗記、読解、計画、実技」という場面は、途中で誰かに話しかけられたらどうしても遮断されてしまうので、やっぱり一人で勉強することになります・・・。

 

ではまたッ!

 

 

「ガチ」って楽しい。

 

こんにちわ!きなこです。

 

今回は日常で感じたことを呟きます。昨日は家で友達とニンテンドースイッチの「スイッチスポーツ」をやりました。ゲームとはいえ身体を使うので、結構いい運動になりました。途中でお互いムキになって勝つために全力でやりました。バレーボールやボーリングを。

 

そこで思いました。全力って楽しいなと。世の中には「何事も楽しむ姿勢」という言葉がありますが、「楽しもう」と思っている時点で「楽しんでないんじゃないか」という疑問がずっとありました。「楽しもう」と思って取り組む中で辛いことがあったら、挫折するのでは・・・とかいろいろ物事に対する姿勢について考えてきました。しかし、自分の中で腑に落ちる答えが「スイッチスポーツ」を全力でやっているうちに発見できました。

 

すなわち「ガチでやる」ということ。

 

ゲームや趣味はその人にとって元から「楽しい」ものだから「楽しもう」なんて心掛ける前に「真剣に」取り組んでると思うんです。「真剣」つまり「ガチ」です。「全力でやろう!」でも「楽しもう!」でも無く「ガチでやる」から充実感や「楽しい」という充足感が漲るのではないでしょうか。

 

目の前のことを「楽しもう!」じゃなくて、「楽しいな」と自分に言い聞かせてやると何でもゲームになる。プロにとっての「仕事」は仕事でも遊びでもなくゲームと本質は似ている。ガチでやるっていう姿勢です。ゲームでラスボスと戦っている時、適当にやったり遊び半分でやる人はいないでしょう。それと同じです。

 

つまり何が言いたいのかというと、芸術家として最高のモノを完成させたり、サラリーマンとして結果を出したり、何か取り組むってときは、一生懸命やった「後」から楽しさを感じるのでは遅いということ。「楽しもう!」という姿勢もガチじゃないからプロでもない。「スイッチスポーツ」みたいなゲームの様に「ガチでやる」その「姿勢」が既に楽しいし、まさしく「ガチでやる」のがプロの姿勢だと思います。

 

「スイッチスポーツ」をした翌日に、職場で任されたトイレ清掃を「ガチ」でやったら途中から楽しくなってきました。真剣に目の前のことに取り組む自分が好きになってくるんですよね。ここで言っているのは「何事も全力でやれ!」ということではありません。燃え尽き症候群になったら大変ですから。ただ目の前のことを真剣にやる。高校のとき、自分がテスト前にノートを真剣にまとめていたら「お前、ガチやん・・・」と引かれ?ました。

 

ですが、私はこれから、今書いてるブログのような「確実に収益が発生するとは限らないもの」やトイレ掃除のような「みんなが嫌がること」、世間からはあまり凄いと言ってもらえない仕事をプロとして、他人から「お前、ガチやん・・・」と引かれる勢いでやっていきたいと感じています。なんかそうすれば前述したとおり自分のことを好きになれると思うんですよね。

 

もちろんゲームと漫画もガチでやりますよ。ええ!

 

ではまたッ!

 

 

『HUNTER×HUNTER』考察 / ゲンスルー戦での鮮やかな伏線回収

©「HUNTER×HUNTER冨樫義博集英社

 

こんにちわ!きなこです。(⌒∇⌒)

 

今回は『HUNTER×HUNTER』グリードアイランド編のゴンとゲンスルーの戦いで描写された伏線回収を解説します。ゴンとキルア、ビスケはゲンスルー戦へ向けて「とある作戦」を立てました。それは、事前に作った落とし穴がある地点までゲンスルーを誘き寄せ、ゴンのジャジャン拳で一気に巻き添えにすること。さらにカード化した「岩」を落とし穴の中で具現化させ、予め作っておいた逃げ場にゲンスルーを誘い込んで、渾身の一撃をぶち込むこと。

 

 

©「HUNTER×HUNTER冨樫義博集英社

 

 

念能力での勝負は力量差だけでは決まらない・・・という言葉通り、ゴン組の知恵が功を成した一戦と言えるわけですが、実は結構ギリギリのところで勝った節もあります。戦いの冒頭でゴンはゲンスルーに「約束なしじゃたとえ殺されても もう本(バインダー)は出さない!!」とカードを渡すことを真っ向から拒否します。が!その時点でハンゾー戦のようにゲンスルーに拷問をされていた可能性だってあったわけです。現にゲンスルーはゴンに「先に参ったと言った方がカードを渡す」という条件をつけられた際も、「勘違いしてないか? お前は条件どうのと言える立場じゃない」と返します。

 

力づくで奪う気満々です。

 

©「HUNTER×HUNTER冨樫義博集英社

 

 

ちなみに15巻の143話でゲンスルーに条件交渉を持ち掛けようとしたプオールは、有無を言わさず殺されてしまいます。しかしゴンは口論の末、悪の権化であるゲンスルーに「先に参ったと言った方がカードを渡す」という一応の条件のついた決闘をすると認めさせます。プオールとゴンの違いは何だったのでしょうか?実はプオールが殺害される瞬間がゴンVSゲンスルーの根幹を成立させるための伏線になっています。

 

条件交渉を持ち掛けたプオールに対してゲンスルーは、「交渉」のコツについて、「いかに冷静でイカレてるか相手に理解させるのがコツだ」と話しています。そして18巻の176話で「約束なしじゃたとえ殺されても もう本(バインダー)は出さない!!」というゴンの条件に対してゲンスルーは「お前も狂ってるな オレとは違うところがだが」と話し、「先に参ったと言った方がカードを渡す」という決闘に応じます。

 

 

©「HUNTER×HUNTER冨樫義博集英社

 

 

命よりも「自分の意地」を優先させた条件を出すゴンを「イカレてる」と判断したからこそ、遊び半分で「参った」というまで泳がせてやろう。という気になったのでしょう。ここでゲンスルーが単なるカードの強奪ではなく、決闘に応じたことがゴンの勝利に大きな影響を与えています。

 

まとめとして、15巻の143話のゲンスルーの言う「いかに冷静でイカレてるか相手に理解させるのがコツだ」という「交渉」の仕方をまさか、主人公であるゴンが実践してみせるっていうのが面白いですよね・・・(〃艸〃)ムフッ

 

ではまたッ!

 

 

『HUNTER×HUNTER』考察 / No.074「9月1日③」のヒソカの挿絵について

©POT(Yoshihiro Togashi)1998年-2004年/集英社日本アニメーション

 

こんにちわ!きなこです(⌒∇⌒)

 

今回は『HUNTER×HUNTER』の「とあるヒソカの挿絵」の意味について考えていきたいと思います。 9巻の74話「9月1日③」のクロロとウボォーギンの会話のシーンです。マフィアの地下競売を襲撃した際、目当ての品物が無かったことに疑問を感じたウボォーギンはクロロに「オレ達の中に背信者(ユダ)がいるぜ」と幻影旅団とマフィアとの間に内通者がいることを話します。

 

それに対し団長クロロは「いないよ そんな奴は」「それにオレの考えじゃユダは裏切り者じゃない」と内通者がいる可能性を否定します。続けてクロロは「マフィアにオレ達を売って「そいつ」は何を得るんだ?」「金か?名誉か?地位か?」と話します。その次のコマに移る間に意味深な「ヒソカの目」が入り、「それで満足したと思えるような奴がオレ達の中に本当にいるのか?」というクロロの吹き出しに若干、そのコマが被っています。

 

©「HUNTER×HUNTER冨樫義博集英社

 

この不気味なヒソカの眼差し。その意味について普通に考えれば、ヒソカがクラピカと繋がっており幻影旅団にとって紛れもない「内通者であること」の暗示と、これから本格的にクラピカと会い「内通者」となるヒソカがクロロの真意を探りながら興味深く聞いてる様に思えます。

 

しかしよく見ると・・・「それで満足したと思えるような奴がオレ達の中に本当にいるのか?」と話すクロロは上のコマのヒソカと目を合わせて言っている様に見えます。もしかしたらクロロはウボォーギンとの会話を通してヒソカに「バカなマネはやめておけ」と諭しているのかもしれません。

 

後の天空闘技場でのヒソカVSクロロ戦で、クロロはヒソカに自分が戦闘時に使う能力を全て開示し、「挑発するわけではなく100%オレが勝つ」「それでも続けるか?」と話す。まるで、出来ればヒソカを殺したくないと言っているようなものです。

 

 

©「HUNTER×HUNTER冨樫義博集英社

 


ちなみに同じく9巻の「No.076「9月1日⑤」」ではさっそくヒソカはクラピカに会いに行こうとします。それに対してクロロは「………悪巧みか?ヒソカ」とこの表情です。まるで教師が生徒を見守る姿勢ですね。まるでパリストンという危険人物をあえて副会長にして、自分の側においていたネテロ会長のようです。要するにクロロは「ヒソカ」を「面白い人物」だと感じていた節があります。

今は真逆で、シャルナークとコルトピを殺したヒソカにブチ切れてますが笑

 

 

©「HUNTER×HUNTER冨樫義博集英社

 

 

まとめとして、ヒソカはクロロを狙い、クロロは何かを企むヒソカを面白がる。という作中最強な2人の絶妙な関係。それが始めて絵として表現されたシーンが、この74話「9月1日③」だと思います。

ではまたッ!^_^

 

 

映画に登場する独特なルール紹介 / 『レミニセンス(2021)』

©2021 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.

 

こんにちは!きなこです。

 

「独自のルール」が登場する映画の面白さは、主人公や登場人物がそのルールに従わざるを得なくなる展開にあります。ルールの裏をどうかくか、どうやってルールを厳守していくか、というその駆け引きが魅力です。

 

ヒュー・ジャックマン主演で話題となった本作は、「ダークナイト(2008)」等の脚本を務めたクリストファー・ノーラン監督の弟ジョナサン・ノーランが監督した作品。

 

都市が水に沈んだ荒廃した世界で「記憶潜入エージェント」として活躍する主人公が、とあるギャング組織の正体と目的を探るべく、瀕死の状態で発見されたとあるギャングの記憶に潜入する。その記憶の中で、主人公はとある謎の女性の存在を知る。というのが「主なあらすじ」です。

 

そんな本作に登場する「ルール」がこちら!

①「潜入できる記憶は、対象者が五感で体験した全て」

②「同じ記憶に何度も入ると、対象者は記憶に吞み込まれ、現実に戻れない」

③「記憶から、事実と違うことを植え付けると、対象者は脳に異常をきたす」

 

劇中で説明されますが、この「主なあらすじ」と「ルール」を鑑賞前に頭に入れてから映画を観て、主人公と一緒に事件に翻弄されてみるのはいかがでしょうか??。

 

ではまたッ!(^▽^)/

 

『HUNTER×HUNTER』考察 / カキン帝国とカイトの関係

©「HUNTER×HUNTER冨樫義博集英社

 

こんにちわ!きなこです。

 

今回は作者の冨樫義博氏によるTwitter開設で、約3年ぶりの連載再開が噂されている「HUNTER×HUNTER」の考察を行います。テーマはカイトと現在の「暗黒大陸編」に登場しているカキン帝国との関係を探ります。

 

実は「カキン帝国」というワードは作中で「暗黒大陸編」より前の「キメラアント編」の冒頭にあたる部分で既に登場しています。それが18巻の186話のこのシーン。

 

©「HUNTER×HUNTER冨樫義博集英社

 

「ここで何してるの?」というゴンの問いかけに対してカイトは「生物調査さ カキン国に依頼されてな」「新種の発見と生物調査が主な仕事だ」と語っています。当時は気にも留めていなかったのですが、カイトが生物調査をカキンに依頼されていたという事実がこのページで明かされています。

 

HUNTER×HUNTER」の世界で「暗黒大陸」というのは人類のタブーとされている場所。Ⅴ5(近代5大陸)は人類への災いを恐れて、各国で不可侵条約を締結し、事実上の暗黒大陸への渡航を禁止している。国としての歴史が他国より浅いカキン帝国は、Ⅴ5に加盟せず、非公式に5回もの調査団による暗黒大陸への渡航を行っていた。そして32巻の340話で満を辞して、一般人と共に暗黒大陸への大規模な調査を行うことを世界に先駆けて発表しました。

 

もし人類が暗黒大陸に進出せずとも、何かしらのキメラアント等の外来種暗黒大陸から漂着して、人類に危害を及ぼせば、カキン帝国はうやむやにしていた不可侵条約を、V5 から再度、締結を求められる可能性があります。そうなれば暗黒大陸開拓の「先駆者」という肩書をカキン帝国は名乗れなくなる。というわけで、カキン帝国はあらかじめカイト等の優秀なフリーのハンターに生物調査を依頼し、進出の機会を伺っていた可能性があります。

その証拠に、カキン帝国はキメラアントの一件が収束したのを見計らったかの様に暗黒大陸への進出を発表しました。また、生物調査をハンターに依頼することで、暗黒大陸からの外来種の情報が手に入るし、同時に駆除までしてくれるのですからカキン帝国にとってハンターほど都合の良い人材はいないというわけです。もしカイトがピトーに殺害されていなかったらキメラアントとの戦いに加わり、その最中に「仕事」としてカキン帝国に外来種の情報を送り人類の暗黒大陸進出を速めていたかもしれません。あるいはその全てを理解した上でカイトはカキン帝国の依頼を引き受け、「いずれは暗黒大陸へ」と夢想家のジンの様に考えていたのかもしれないですね。

 

カイトの「暗黒大陸編」での活躍を見たかったです。・・・いや、見れるかも!!だってカイトは今、転生して生きてますもんね!!いや~楽しみです!早く連載再開してほしいです。

 

ではまたッ!!